病院でピンカー上巻読んだ。
中巻も読んでいる。責任と自由意思について問題にするとき、すぐに他行為可能性の話に行く必要はないよね、と改めて思わされる。
しかし、人間はブランクスレートだという陣営から社会生物学への批判で、すぐナチだと言われる、というものがあったし、あのようなことが再びあるかもしれないからという恐怖によって人々は今も社会生物学などにたいして否定的だ、という話があった。けど、ロンブローゾはもちろんナチ以前で、かなり批判されていた。このときはなぜ批判されていたか、というのはいわれていいような。



アフターダーク』について、姉と娼婦を苦しめていたのは不特定多数の人間だったんだろう、と指摘されてなるほどと思う。そういえば、妹が話を聴いてもらうのも、誰でもよさそうな人たち、この人でなければいけないということはなさそうな人たち、単に出会った人たちだった。
その指摘をした人はテレビと私たちというカメラについて、あれはすごく深い、難しいと言っていたが、僕は単にどこでもテレビだ、と思ってた。
そういえば、これも村上春樹では良く出てくる壁抜けの一つだな。