いただきもの。フランコ・ベラルディ(ビフォ)著 櫻田和也訳『プレカリアートの詩――記号資本主義の精神病理学』,河出書房新社.

少し紹介が遅れてしまったのですが、訳者の櫻田さん、編集の阿部さんから頂きました。ありがとうございます。
ビフォの本のはじめての邦訳となります。

http://www.kawade.co.jp/np/isbn/9784309245010

目次
0 いくつもの分岐点
1 未来のはじまったとき
2 情報労働と「プレカリ」化
3 賢者・商人・戦士
4 今日オートノミーとはなんであるか?
5 もろい精神圏
6 暗闇の欲望
7 テロル(エラー)と詩
8 コミュニズムの回帰
9 ポスト未来派

「ビンのなかの孤独なハエのように哀しくとも」(p. 63)、それが資本の問題とはならなかった肉体労働者と、「ひとりの認知労働者という個体の精神的抑鬱が経済危機の帰結なのではなく、逆にその原因なのだ。……認知労働者の頭上に抑鬱が垂れ込めるのは、彼自身の感情、身体、知的システムが、市場と薬物によって惹起される超活性状態に際限なく耐えることなどできないからだ。この結果として、市場において事態が悪化したのである」(p55-56)という対比にみられるような、精神的な作用の編成と経済的な編成について、改めて、自分の課題として引き受けなければいけないと感じさせられました。