今日は院生の間で論文の発表会。
感情労働について、その何が悪いのか、ということで盛り上がる。
別に感情を商品にしたっていいじゃない、というのはまあ当然。
もし悪いものがあるとしたら何か。
そのとき発表者が批判的にまとめてくれたように、それが
深層の感情と表層の感情との間に葛藤が起こるから、ではないんじゃないか。
というか、もし感情労働に苦しさがあるとしたら、そんな簡単な問題ではないんだろう。


その労働が事前には「やりたいこと」でなかったとしても、
労働に就いた事後に振り返ってみれば(内部から見れば)別に「やりたくないこと」
というわけでもなかった、的なこともあるだろう。って関係ないか。というかそれは就職する人の中に、かなりあてはまる人もいるんじゃないか。
これしかできないから、でも、これがやりたいから、でもなく、選択して/されてたまたまそこで働くことになったという人を、そしてそれで働けてしまう事態というのを、それでいいよね、と言えたほうがいいのか悪いのか。別にその仕事がやりたいわけでも、稼いでやりたい趣味が何かあるわけでもないけど働いていますっていう人。けっこう多いんじゃないかって勝手に思ってるんですが、まあ問題化する必要もないのかな。わからん。