酒井隆史『自由論』読書会の最終回。
この本はフーコー論でありながら、それにとどまらず現状認識のためには読んでおくべき「名著」だと思う。ただ、そこで描かれている「ネオ・リべラリズム」の状況は、いろんなところで進展しているというか、強度をましているというか、要はひどくなっている。
身近なところでも。
批判とは「こんな風に統治されたくはない」という統治される者の声だ、というなら、批判したいところはいくらでもあるんだ。
しかし、自分でもこんなに怒っているのは初めてだな。どうしてなのだろう。
人は「統治される者」ということで潜在的には誰もが蜂起主体であるというのはそのとおりというか、そうも言える。というか、それくらい強がってみる、もしくは信じてみることもできる。
だけど、それが現実化するのか、「それは事実」なのかどうか。まあ事実かもしれないが、それは永続的に続かないというか、続くとしても形をかえながら、主体の中身は交代しながらなんじゃないか。


あんまり格好よい本なので、発表は引用ばかりになってしまった。