菅野賢治,2002,『ドレフュス事件のなかの科学』青土社
広範囲にわたって詳しい記述がなされているので訳著かと思って読んでいたらそうじゃなくてびっくりした。
ドレフュス事件=ゾラの話、という観念連合が僕の中で出来上がっていたけれど、
そんな単純な話ではない、というのがよくわかる本。
ゾラの「私は告発する!」介入以降よりも、それ以前の話が中心的で、
ペギーが同情と皮肉をこめながら「ドレフュス家の雇われジャーナリスト」と呼んだベルナール=ラザールは、十分に復権されている。
ドレフュス事件にあったというか事件をめぐる「科学」にあった「反ユダヤ的な」ものをあぶり出して批判していて、ベルナール=ラザールの骨を拾うこともできているのでは。
また、筆相学が(そしてかのベルティヨンが)ドレフュス事件に果たした役割は非常に大きいこと、そして筆相学もやはり当時生まれつつあった学問だとわかったのは嬉しい。
タルドに関する記述は一般的なもので、「公衆」概念の説明は典型的な誤解だけど、そんなのしょうがないよな、とも思う。
タルドにも「筆相学graphologie」についての論文はあるのは確かだけど、ドレフュス事件とどれだけ関係しているかはわからないし。