今日は野菜と豚肉の味噌炒めと納豆と法蓮草の味噌汁。
ブラックジャック」のTVアニメが今日始まった。「オペの順番」からはじまったけど、
これは別にブラックジャックの中で取り立ててよい話しだとは思っていなかったので、僕には意外な選択だった。2話目の「消えた針」も、なぜこの話?といぶかる。
あと、ブラックジャックがオペするときに、白衣に着替えるシーンがあるんだけど、
それが変身するヒーロー・ヒロインもの(例えばセーラームーン)みたいで、ブラックジャックがくるくる回って着替えてるはどうなんだろう。
まあどうでもいいんだけど。
ところで、ブラックジャックには、連載時には掲載されたけど、PC的な理由で単行本に未収録の短編が幾つかある。以前同じ研究科の人と東京に行った時、国立国会図書館でコピーしてきた。その中にはなかなかいい話しもあるんだよな、ほほほ。と自慢話。

読んだ本
呉智英佐藤幹夫編著『刑法三十九条は削除せよ!是か非か』洋泉社 親書Y
最近、「精神異常者」とされる、もしくは「精神異常」が疑われる人による犯罪が世間をにぎわせているようで、モーニング誌上で連載中の漫画『ブラックジャックによろしく』でも取り上げられたりしている。
そして、このような「精神異常者」が罰せられないのは被害者感情を考えて不当であり、
社会の保安上も、問題があるという世論があるかのように言われてきている。
刑法三十九条とは「心神喪失及び心神耗弱」に関する条項で、

第39条 心神喪失者の行為は、罰しない。
2 心神耗弱者の行為は、その刑を減軽する。

という短い条文。前述の状況下において、この刑法三十九条の改正を求める声が強まっているらしい。
三十九条削除肯定派の呉氏は、近代以前から「狂」者は罰せられなかったことを「支那[!]古典」の「礼記」や「史記」を引きながら確認する。しかしそれらは、「狂」を「聖」と連続のものとみるなど、それらは近代の責任論と異なっており、相対化しうるものであることを確認する。
そして、この問題を「責任無能力者が「抹殺」されないのは」、その「責任無能力者が人間だから」という以外に理由はないと主張する。そして、「永山則夫」が精神鑑定を拒否し死刑になったことを例にあげ、三十九条適用を免れることによって「守られる人間の尊厳もある」と述べる。
責任能力論の限界露呈が問いかけるものはあまりに大きく、あまりに深い」と呉氏は述べるが、実際にどのように大きくて深い問題なのかはこの論考からは見えてこない。
心神喪失者や心神衰弱者の責任を問うことは、形は違えど近代以前からあったことを認めるし、「生物学的に人間」であれば責任無能力者として不可罰であるということも認める。ではなぜ、三十九条に否定的なのか?
わかるのは、麻原(のような「異常な奴」)が責任無能力と認定されたら、被害者感情
が納得できないだろうということ、また、圧倒的多数の「生涯何の凶悪事件も起こさない心神喪失者や心神衰弱者」が”未発の”刑事責任能力者として扱われないように、心神喪失者や心神衰弱者の責任を問わなくてはならないと主張している、ということだ。

うーん、なんか面白そうと思ったからまとめたのに、混乱があるようにしかまとめられない。他のはまた後でまとめるかも。

いまさらながら、『ゲーム脳の恐怖』を読んでわかること。
それは、森氏の計測しているのはあくまで脳ではなく脳波であるということ。
しかも読書でもゲームでも同様に低下し、ロールプレイングゲームでも運動でも
同様に上昇するβ波を、電波の「シールドなし」に計測できる装置を用いて
測っている。そして、β波がα波と同様かそれ以下しかでていないとき、その人の
脳は痴呆者の脳と同様の状態であり、ゲームを続けているとその状態のままであり続ける
ようになるし、このままでは人間は退化してしまうかもしれない、と主張している。
おまけに、ゲーム脳タイプ以下、4つのタイプを挙げているが、そのタイプを主張するまでにどのくらいの被験者がいたのかよくわからない。「ゲーム脳タイプの人」という言葉
では、問題とされているのが人なのかタイプなのか不明。
。。。と5周遅れで批判してみたり。
脳の異常を主張するので生物学的決定論にみえるが、かなりの環境決定論者。ゲームをしたり、運動をしたりすることで脳の状態が大きく変容すると述べてある。
そして、運動で簡単に治るのなら、それでいいじゃん、という突っ込みはかわさない。
うーむ、トンデモ本に認定されているとは聴いていたけれど、これほどとは。
ゲーム好きな人にとっては変ないいがかりをつけられたとしか思えないでしょう。
笑ったところのひとつ。

前頭前野の機能低下と思われる身近な例も挙げてみましょう。たとえば、人目を気にせず電車内で化粧をしている人、公衆の面前で抱き合っているカップルなど。人間らしさを表現する場所である前頭前野が働かず、理性、道徳心、羞恥心、こんなことをしたら周囲がどう思うだろうということを、考えられなくなってしまっているのです。…けれど、こういう人に注意してもむだでしょう。電車の出入り口に座りこんでいる若者に、「そのような場所に座り込まないで」などと言っても、うるさいとしか感じてもらえないでしょう。脳の問題なのです。(p25-26)

イヴリン・フォックス・ケラ−は『遺伝子の世紀』のなかで、近年、遺伝学はどんどん先にすすみ、DNAの塩基配列の解明だけでは遺伝についてはわからない、というところまですすんでいるにも関わらず、未だ「肥満」遺伝子が見つかったとか、「遺伝子」という言葉でお金を引っ張ってきたりする研究者たちや、注目を集めようとする報道なんかの宣伝トークを「ジーン(遺伝子)・トーク」と呼んで批判した。
「ブレイン・トーク」ももちろんたくさんあるのだな。