今日も資料集め。
Archivs d'Anthropologie Criminelleをたくさんコピー。
京都大学にはたくさん資料が残っていていいなあ。
この雑誌、最初の一号にはタルドのCriminnarite' compale'eの
書評が小さく載っているのみだったのが、1893年には名前変更、
紙面刷新と同時にタルドが共同編集者になり、1904年のタルドの死後には、ひと月分(?)がまるまるタルドの思い出特集になる、、、と、一日タルド体験にはとてもよい雑誌。
夕方にはタルドが死んだところで寂しくなってしまった。

ベルティヨン、ラカサーニュ、ロンブローゾ、フェッリ、、、
revue philosophiqueのリボーや、ビネやデルブーフやデュルケムやヴントらとはまたまったく違う顔ぶれ。

おそらく、いまからみるといかがわしい、「実証的」、「心理学的」19世紀末。客観性を装った、偏見もたくさんある。
でも、いま、
それらが輝いて見えるのは、僕が時代に合わないせいだろうか?
それだけじゃないと、どうやって言えるのだろう。