第三回「自由研究」読書会 終了。
北田暁大『責任と正義』第2部。
自分で発表しておいて納得いかないところ多し。
このもどかしい感じはどういえばよいのか。
たとえば、3章は「他者は尊重しなければならない」という原理をどうやって基礎付けるか(あえるいはその不可能性を論証するか)、という問題の、北田バージョンだ、と思う。
そこで、事実/価値という二分法の相対化を存在/当為に適用することはできない、という話はよくわかる。
そのあと、サールの論証を援用することによって、「他者尊重すべし」という当為言明を制度内−外(そしてその《外部》)の問題として収斂させて語っていっているように思えた。
そうなると、「「他者を尊重すべし」という制度をコミットすべきか否か?」という問題になるはず。
このときの「制度」というのが何を指しているのかがよくわからない。
研究会では、この制度を私的所有制度、殺人へのタブー?に読み替えたりして試してみたが、どうもわからない。難しい。
「他者を尊重すべし」は制度として語られている(だから制度の他者からコミットすべきかが問題とされる)。それが最終的には立岩=ローティ的に、事実として「他者を尊重してきた」というところに落ち着いていくとき、何か違和感がある。
制度、をある種の共同体?で受け入れられている支配的な行動基準なのだと理解すると、
制度としての「他者尊重」というときの閉じられた共同体的なイメージと、他者を尊重してきた事実、という言い方とは、ギャップがあるように思う。

4章でのギュゲスの指輪議論は面白かった。
でも、ここでも違和感が残る。うまく言えないのがもどかしい。



次回は4月25日、17時から。