ドラえもんの声優が一気に交代するらしい

やはりね、大山のぶ代はすでにドラえもんドラえもんたらしめるドラえもん性の大部分を担っていたことは間違い無く、いつのころからか本人をみてもドラえもんが明らかにだぶって見えていた(実際、雑誌のタイトルにまでなった「ぼく、ドラえもん」という発話は原作者ではなく大山が考案したものであるし、漫画『ドラえもん』は作者の死後もその記号性によって、他の作者によって書き続けられることを可能にしている。ドラえもんがまったくの記号とならないのは、大山の声によって唯一性と同一性、つまり人格的なものを与えられているからだ。)。それを考えれば、サンプリングによる大山のぶ代ドラえもん継続説が浮上しているのだって充分に理解できる。実際、録音し貯蔵しておいた音声から選択して再生させるというのは、ネコ型ロボットであるドラえもんには或意味では正しい姿とさえいえるかもしれない。そうなれば、ドラえもん大山のぶ代という式は永遠性を付与され、リアルドラえもんを製造する偉人が登場した際には、モニタとスピーカの上ではなく金属と技術のかたまりのうちに現実化さえされてしまうということになり、それはそれで夢と呼称するに相応しく、行なわれるべきである。が、ドラえもんをそこまで設定上のリアルに近付けるよりもとなりのみいちゃんに恋をして振られるようなロマンのほうをやはり重視したく、それは再生された音声で立ち上がらせてくるのは現在は難しいアウラ的なものだといえるのであれば、また、ドラえもんのストーリーが生産され続けていき、現在はのび太がTVゲームで遊んでいる話しさえあるという生成するマンネリズムを考慮の内に入れるならば、至善の策としてモノマネでなんとかドラえもん性を薄めながらも受け継ぐか、ドラエモンとかどらエモンとか類似品的に差異化して、これまでとは違う、ドラえもん性なきドラえもんになるしかないのではないか。でもいっそ銅鑼衣紋だっていいんじゃないかというラディカルな案には反対で、やはりドラえもん性を保ったドラえもんであってほしいという願いは、ある程度多くのひとに共有できるんではないだろうか。