タルドのCriminalite CompareeのRenneville氏によるpostfaceは、
Gabriel Tarde, L'hirondelle de la criminologie というタイトルで、
直訳すれば「ガブリエル・タルド、犯罪学の燕」とでもなるのだろうか。
タルドは一見不可解とさえ思えるようなアナロジーを多く用いているが、
その中には「統計のグラフは燕の飛行の軌跡だ」というような有名なアナロジー
ある。
Renneville氏のpostfaceのタイトルは、すぐにこのアナロジーを連想させる。
このアナロジーのとりあえず素直な解釈としては、
統計の数値は、それだけでは対象の数え上げられた数値でしかないが、
統計のグラフは、燕の飛行の軌跡が燕の飛行という空間内での運動の痕跡を示しているように、その対象の社会内での変動の痕跡を示している、そしてその変動をみることこそが
重要であるということなのだろう。
まあわかる話というか、今となっては常識の範疇かもしれない。
が、このアナロジーを知った時、なぜ燕と比較しなければならなかったのかという素朴な疑問が残っていた。
でも、今回フランスに行って答えをみつけた気がした。
それは、タルドの屋敷があるラ・ロック・ガジャクに行った時のこと。
タルド邸は、というかこの小さな小さな村、車なら3秒で通り過ぎて行ってしまいそうな村は、切り立った岩壁に本当に張り付いているようだ。
この古い村の前には川が流れ、とても美しい所だ。
現在ではカヌーを楽しみにくる人が多い。
でも、カヌーでは見えないもう一つの名物がある。
それが燕だ。
岩壁に近付くと、たくさんの燕が目の前を行き交っている。
燕は一匹ではなく、たくさんいた。
何羽もの燕が自由に上昇し下降するのを見ているのはとても楽しい。
タルドは「自分の考えの中でも優れたものはラロックで生まれた」という意味のことを手紙で書いているが、
間違い無く、タルドはここで「統計のグラフは燕の飛行の軌跡だ」という
アナロジーを発明したに違いないと確信した。
そこでタルドにならい、「燕の飛行の軌跡は統計のグラフだ」と考えてみる。
すると、目の前で幾つものグラフが同時に上昇、下降し、交差する。
関連するように動くものもあり、離れているものもある。
同じ風を受けているのにまったく違う動きを見せるものもある。
何かに特定のものに向かっているものとそうでないものの動きも大きく異なる。
たくさんの燕が社会の有り様を現しているようにも思え、飽きずにずっと眺めていた。