河出文庫正法眼蔵』を買おうと思ったけどなかったので吉田修一『パレード』。
いきかえりの阪急の中で『パレード』。
描写はとてもおもしろいし、「へえ」とうなずいてしまいそうになることもあった。
でも、どこかで書評を読んだのを覚えていたせいか、最初から少し不穏。
僕は鈍感なのか基本的に怖さを感じることがあまりないのだけれど、
最後の章は強烈に怖かった。
この怖さは、たぶん自分のいる場所や時間と近いところにあるこわさなのだろう。
もっといえば、怖さを感じるのは、『パレード』が今も僕(たち)が受けているものをうまく表せているからに違いない。
たくさんの怖さを、この本からたくさん読み取れる。
人が殴られるのを観る怖さ。
人を殴る怖さ。
人が殴られているのをみても身内を隠すことに専念する怖さ。
人を殴った人間を知りながら、追及することなく隠蔽するアパートの日常という怖さ。
自分の社会が、このアパートの日常と同じかもしれないという怖さ。
そして、実は自分も人を殴っており、みんながそれに気付かぬふりをしているだけかもしれないという怖さ。
もしかしたら、他の人間も人を殴っていて、みんな、そして自分も知らないふりをしているのかもしれない
という怖さ。
ぜひ読むべし、でいっしょにいた友人に即貸し。


フーコーの『異常者たち』には示唆される。
こんなの真似できっこないと落ち込んでみたり。構想できず。
どうでもいいけれど、「ありえねー」と言うと、フランス語では「精神異常者」
という意味になるらしいです。「精神病医」はありえにすと。




aliene.