宮台真司さんのサイトの
「亜細亜主義と北一輝〜21世紀の亜細亜主義」
ほんの少しミメーシスの話が。まあ本筋とはさほど関係ないですが。
「ロジカルに説得される」ことと対比させて、「本当はロジックじゃないものに感心してる」こととして「ミメーシス(模倣・感染)」が言われているようです。
これを読んで、タルドの模倣における「論理的法則」と「超論理的影響」を思い出したけれど、言われているのは別の話。むしろ模倣されるのは何かという問いに近く、タルドなら信念と欲望と答えるところ。おそらく、合理性と相容れる形での模倣されるものは、感情や精神性の感染といったものではないはず。
と。というか、「ミメーシス」(タルドの模倣はイミタシオン)や「アウラ」という時点で参照されるべきはベンヤミンアドルノのはずで、
タルドが出てくることはないか。
でも、タルドがよく批判されたように、模倣概念は下手をうつとぼんやりとした星雲のようになってしまうので、「何が模倣ではないのか」には注意しようと自戒。
「感染と模倣」、「催眠と模倣」。模倣の疫学的比喩と、心理学的比喩。やっぱり意味はぜんぜん違ってくる。
「進化と模倣」、「発生と模倣」っていう、進化学的比喩と発生学的比喩では、やっぱり意味が違うような。
あれ、何が言いたかったんだ?ああそうか。いやいや。
あれ?(って古いか)